タオルとおでん
歳の瀬を迎えるとよく思い出す事がある。
私の母は美容院を経営していた。
年末はどんな仕事であろうが、なにかにつけて
忙しいものである。母の店もそうだった。
だが、今思えば、ただ単に仕事が忙しかった
だけではなかった事が今わかる。
町のちいさなパーマ屋(もうこんな言葉、、死語であろう。)
だった母の店には、私が幼少の頃までは
キヨミちゃんとケイコちゃんという従業員の
おねえさんがいたのだが、私が中学にあがった頃には
母は店を一人できりもりするようになっていた。
お客さんの数が減った事もあったのだろうと思うが、
忙しい時期にはそんな時、猫の手も借りたかった事だろう。
遊び盛りの私はタオルの洗濯をよく頼まれた。
子供心にこの仕事がおっくうで仕方なかった。
そんなむずかしい事ではないのだが、
なんせ膨大な量、冬の寒空、かじかむ手、、
幸せの黄色いハンカチという映画があったが、
私はあの映画を見た時、倍賞千恵子さんの大変さが
違う意味で深く突き刺さったものだ。
私にしてみれば、お手伝いの白いタオルは、
高倉健さんではなく、新しい歳を待つ儀式に
近いものがあったのだ。
けっこういやいやながらタオルの洗濯をしていた私にも
少し、ばかりの楽しみがあった。
物干場の向かいは駐車場になっており、その向こう側に
長屋(これももう死語なのかな?)があってそこの
おばあちゃんは長屋の端の道路沿いにおでんの屋台を
営んでいた。店が忙しいと母は私の夕食を作れる時間など
なく、私はよくおばあちゃんのおでん屋で夕食をとった。
私が母の手伝いで倍賞千恵子さんばりにタオルを干しているのを
見ていたのだろう。、、、、
てっちゃんはいつも偉いねえ、、お母さんの手伝いをして、、
ほら、、これ、、おまけ、、。
などといいながらおでんを多く盛ってくれたりしたのだ。
あの頃が今、、少し、懐かしい。
おばあちゃんのおでんはおいしかった。
先日、母から電話があった。
『あんた、、何回も電話してるのに、、なんで、、でないの
そんなに仕事が忙しいの?』
おこられた。
そうだね、、忙しいっていえば、、忙しいんだけどさ。
明日から、、しゃんとします。
今年ももうあと少しで終わっちゃうんだな、、、。
by mabatakishot
| 2007-12-21 21:31