まばたき

机上の論理から呼吸する空間へ

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ゲネプロとはそんな事をする為にある。
リハーサルスタジオを経て、初めて舞台setやら、
照明やら、音響設備などを仮設して、
本番と同じように行う。
唯一、本番と違う状況はお客さんがいない、、
という事である。
今まで、あ〜でもない、こ〜でもないと
ミーティングを繰り返し、本番を想定しながら、
練習を繰り返してくる。
そこには理屈ではなく、生きている証がさらけ出されるのである。
いや、、なんと説明したらいいのだろうか?
いろいろ考えたにもかかわらず、
そんな事はどうでもよくなってしまう瞬間や、
まったく気づかなかった事を痛感させられる瞬間でもある。
思い通りにゆかない事、イメージ通りにゆく事。
様々である。失敗の仕方がある意味、本当に大切になるのだ。
言い換えるならば、本番にむけて意味ある失敗を
しない限り、ゲネプロなんてものはなんの意味も成さなくなるのだ。
つじつまあわせをしてうまくいった事は予定調和になり、
まったくもって面白くない。
そこには緻密に計算された演出や、
何かをごまかすために培われたテクニックよりも、
そこにいる全ての人の呼吸が一つになる事が何よりも重要なのだ。
私達の世界でもテクノロジーの発達によって、合理化という
ある種のオートメーションともいうべき波が少し前に訪れた。
そこには今まで苦労してきた事から解放されたり、
経済的にコストを減らしてくれるという事や、
そのおかげで、表現の多様化が可能になるという様々な恩恵が産まれた。
しかし、その反面、『そればかりが見える』モノに関しては
なぜか飽きがくるのだ。
なぜなら、人は生きているモノだから。
舞台というメディアは一番贅沢なメディアだと私は
思っている。細かく言えば、同じ事をしているようで、
同じように感じる事がないから、、、、。
なぜなら、、生きているから。
呼吸しているから、、、。

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そこにいる人達の意志が本当に影響されるから、、。
CDや、テレビは家で寝っ転がっても楽しめる。
しかし、舞台はその人の大切な時間を劇場という
場所へいざいない、チケットというものを購入しなければ
その空間を共有できないのだ。その時にしか、感じられない
空間を提供する場所が劇場である。
激情とは特別な場所である。
そこに一番大切な事は、、生きているという証がある事である。
すなわち呼吸していなければいけない。

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私達はロボットではないだろう。
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by mabatakishot | 2008-02-12 01:05 | on stage